【生口島】島好きが、必ず島で暮らしているとは限らない!?

生口島アイキャッチ

こんにちは!『はなれじま広報部』の柳 陽菜(やなぎ はるな)です!

突然ですが、この記事を読んでいるあなたは、どのように島と関わっていますか?島の文化を調べているのでしょうか?それとも、離島旅行を計画中?あるいは、移住を考えている?どれも、島との関わり方のひとつです。

今回は、島との多様な関わり方を探るために、『はなれじま広報部』メンバーの竹内くん(以下:竹内)に取材してみました。果たして、島内で暮らすことだけが、島への想い入れの強さを表すのでしょうか。どのような形で島にかかわり、自分にできることを実践するのか、ひとつの事例として取り上げてみます。

(わたしが大阪市内で22年間生まれ育ったこともあり、「リアルな島での暮らしやその向き合い方」に心が動かされました。自然の中で育つということ、島ならではの進学や就職の選択、地元に対する想い入れなど。)


▼竹内 鴻(たけうち こう)
生まれは広島県福山市。生口島出身の父の都合で3歳のときに生口島へ。中学卒業までの12年間を島内で過ごす。現在は、関西学院大学の3年生。大学卒業後は生口島に戻らず、関西圏で就職予定。「自らを育ててくれた島を盛り上げたい」という想いを抱いている。

生口島は広島県尾道市にある、瀬戸内海に囲まれたのどかな島。レモンの国内生産量1位を誇り、柑橘系の果物がよく育つ。しまなみ海道の島のひとつで、アートの街としての一面もあることから、自然と芸術が堪能できる場所として多くの観光客が訪れる。

生口島の概要はこちら

生口島で過ごした日々

柳:島で、どんな幼少期を送られたんでしょうか。「島での暮らし」があまり具体的に想像できなくて…。

竹内:同級生は70人弱いて、夏は友達と海遊びや川釣り、山で散歩をしてました。家族で本土に出て買い物もしてましたね。車があれば特に不便を感じることもなかったように思います。

それと、中学校の前一面には海が広がっていて。野球部がホームランを打ったらボールが海に落ちてしまうこともありましたね。先生に内緒で海に入って、ボールを取りに行ってました(笑)

柳:そんなに身近に自然があるって、すごく羨ましいです…。

竹内:当時は身近に自然があることを特別意識したことはありませんでした。今思い返すと、のびのびと過ごせていたなと。そこも生口島の好きなところです。


柳:中でも特に記憶に残っている出来事はありますか?

竹内:小中学生での地元学習ですね。島内には生口島出身で世界的に有名な画家、平山 郁夫の作品が並ぶ「平山郁夫美術館」があるのですが、そこで作品鑑賞をしたり、平山氏に関する学びを深めたりしました。

また、島の各所に17点のオブジェクトが配置された「島ごと美術館」というアートプロジェクトが実施されたのですが、それらの作品の説明を覚えて観光客の方々に説明をしたり、生の感想を集めたりしていました。フィールドワークだけでなく、机に向かって島の歴史を知る授業があったりも。

柳:そんなに詳しく、自分の住んでいる場所について勉強できる機会はあまりないですよね。わたしの地域には、そもそも地元学習がありませんでした。

竹内:そうですね。地元学習がなかったら、今ほど島への愛は深くなかったと思います。自分自身が島のことを深く知ることで、もっと多くの人に生口島の魅力を伝えたいと思うようになりました。

「大好きな島から出る」という選択

柳:思い出の詰まった島から、島外へ出る選択をしたきっかけは?

竹内:高校進学が転機になりました。中学生の頃は「これからも一生島内にいたい。高校行かなくてもいい」とすら思っていたくらい、島には思い入れがあって。とにかく居心地がよかったんです。しかし、島内に高校が1つしかなく、大学進学を見据える中学生の多くは、島外の高校に進学していました。それで、大学に進学したいと考えていた私は、島外へ出たんです。

柳:学生生活が終われば、また島に戻るのでしょうか?

竹内:働き口が限られるので、大学を卒業しても島へは当分戻らない予定です。島内の主な働き口は、観光業や小売業、医療機関。私が就きたいと思っている職が、島内になくて。もちろん島に戻りたい気持ちも捨てきれませんが、キャリアや将来家庭をもつことを考えると、悩ましいですね。

戻らずとも抱き続ける島への想い


柳:島外に出て、中学時代に抱いていた島への想いに変化はありましたか。

竹内:より一層強くなりましたね。島を改めて客観的に見てみると、魅力が詰まった場所だなと。それを一番感じるのは、空気の「やわらかさ」ですね。島に帰るたび、空気が「やわらかい」と感じるんです。自然の豊かさや島民の人柄などいろんなことが重なって、すごく落ち着くんでしょうね。私が育った場所というのもあると思いますが、今でも帰れば心が休まります。

それを体験として知っているからこそ、私は島とその文化を守り、未来へと受け継ぎたいです。島内の住民だけでなく、島外からも空気のやわらかさを感じてもらえる機会を作れたらベストですね。より多くの方に訪れてもらえるよう、島内・島外で手を取り合い、新たな方策を講じなければならないフェーズに入っていると思います。

柳:竹内くんとしての、今後の島との関わりを教えてください。

竹内:いまは離島専門のメディア『はなれじま広報部』を運営するアトリア合同会社でインターンをしているので、島のことを全国に向けて発信したいと思っています。ほかにも、広島県民会に参加しているので、その中で町長や島民の方々と交流して人脈を広げたりもしています。今後、なにか具体的なアクションを起こすときの糸口になればと。

柳:将来はどんなことをしたいと考えているんですか?

竹内:ひとりでも多くの方に「生口島に行ってみたい」と思ってもらうために、島を総合プロデュースしたいです。そして、島の文化を守ることになればなと。そのためには、俯瞰的に生口島を見る必要があると思っていて。だからこそ、島外に出たことは私にとって必要な選択でした。

柳:島に戻らないという選択は、想いがなくなったわけじゃないということなんですね。

竹内:そうですね。「好きならば戻らないといけない。戻らないとなにもできない。」ということは決してないと思っています。自分なりの距離でできることを、見つけていくのが大切なのだと気づきました。

誰しも、「島が好き」と胸を張って言っていい。


(取材を終えてみて:柳)
私は『はなれじま広報部』でインターンをしていますが、もとから離島にルーツや愛があったわけではありません。“離島のメディアって珍しいし、なんかおもしろそう”くらいにしか思っていなくて。

それでも、実際に離島に足を運んだり島の情報を調べたりする中で少しずつ好きになっていって。ただ、“移住をしたいと思うほど好きか”と聞かれると、そういうわけでもないとも思っています。だから、声を大にして「離島が好き」とは言えませんでした。

でも今回の取材で話を聞いて、自分が抱える島への想いを肯定することができました。自分がしたいと思える島との関わり方を、これからも続けていくことが大切なのではないでしょうか。

企画・取材・編集:柳 陽菜

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