第一章:思い立ち、淡路島に残る銭湯へ
商談を終え、まどろみながら阪急電車に揺られるある日の午後。企画考えなきゃな…と窓の外を眺めていたら、ふと銭湯に行きたくなった。湯船でゆっくりしながら、考えごとをする時間を作りたい。
最近、公私ともに島に染まっている私は、「行くなら島の銭湯か…」という思考回路になっている。しかし、瀬戸内海には昔ながらの銭湯がほとんど残っていないことを知った。現在営業しているのは、淡路島にある3軒だけだとか。
各家庭に湯船があるのが当たり前ないま、燃料費が高騰していることもあり、需要が限定的なエリアで銭湯を運営し続けるのは難しいらしい。水が貴重な離島で、となると尚更だ。

先日、愛媛県の野忽那島(のぐつなじま)で元銭湯の廃墟を見た。壁は剥がれ、木でできた部分は朽ち果てている。立っているのもやっと、という様子だった。
こうした「終わり」を見るたび、「なんとか続いてほしい」という想いがあっても、離島でビジネスを成り立たせ、継続させるのは難しいのだと痛感する。
島で消えていった銭湯に思いを馳せつつ、まだ入ることができる場所があるという幸せを噛み締める。
「残っている銭湯、いくか。」
関西あるあるだと思うが、淡路島をいわゆる「離島」として認識している人は少ない。明石海峡大橋の存在があることで車でのアクセスが格段に良いことに加え、なにしろ島の面積が巨大だ。一周しようと思うと、けっこうガッツがいる。
私自身も、淡路島は数えられないほど訪れている。いつも車で橋を渡っていたので、今回「それ以外」の方法で行くことにした。経路を調べると、高速バスで明石海峡大橋を渡るルートと、定期船を使うルートが表示される。ならば。行きは高速バス、帰りは定期船に乗ることにした。

バス乗り場に着く頃には日が傾いている。こんな車が絶え間なく通る高速道路上にバス停があるのは不思議だ。バスの本数も、それを待つ人も多かった。ほどなくして、高速バスが停留所へと入ってくる。

バスは明石海峡大橋を渡り、淡路島へ。橋を渡るとすぐに淡路インターのバス停へと到着するので、実質橋を渡るためだけにバスに乗っていることになる。

乗車時間は5分くらい。あっという間に淡路サービスエリアに到着する。

高速道路上のバス停に降ろされる。見慣れたはずのものを、普段とは違う角度で見るだけで、こんなにも新鮮に見えるものか。

バス停を出て一般道へと抜ける。細道を進むと、そこには商店街が続く。高速道路に降ろされたかと思えば、眼前にはレトロな光景が広がっている。
タイムスリップしたような感覚にもなるが、思えば多くの島にはこうした景色が広がっている。無機質な空間に落ち着かない私が、少し安心したのもまた事実だ。

なんだこれは…?近寄ってみる。

水道メーターらしい。初めて見る形状だ。

どうやらここにも温泉があったようだ。休業中とのこと。再開したらお伺いします。
さて今回は、3軒ある銭湯の中で最も神戸に近い「丸吉湯」さんへ。淡路ICからは結局徒歩で30分くらいだった。明石海峡大橋の存在を常に感じながら、住宅街を進む。本当にこんなところに銭湯があるのだろうか、と少しだけ不安になる。

…あった。
こぢんまりとしながら、綺麗に手入れされているのが店構えから見て取れる。入浴料は460円。タオル・シャンプー・ボディーソープがついても600円とリーズナブル(2025年5月時点)。
第二章:「書きたい」と「読みたい」の狭間に生きる私たち
銭湯内で写真を撮ることができないので、第二章はイラストで。
イラスト:mai

浴槽が2つ、サウナは1つ。決して広くはないが、手入れが行き届いていて心地良い。やけに静かだと思ったら、入浴客は私だけだったようだ。身体を流し、立てるほど深い湯船へ。
少し熱めのお湯で、ふーーーーっと長いひと息。湯船と深呼吸とタバコの良いところは、合法的にため息をつけることだと思う。時にはガス抜きがほしいものだ。
さて、企画企画。タイルの目がだんだん原稿用紙に見えてくる。最近は「はなれじま広報部」というメディアが、私自身やメンバーのポートフォリオとしての役割を果たしていると痛感している。私や私たちらしい企画を世に出さねばという使命感のようなものもある。
しかし、メディアとして運営するからには、記事のPV数をはじめとした数字のことも考えなければならない。企画の基本は、この「書きたい」と「読みたい」、そして能力的な意味での「書ける」が重なることで成立すると私は思う。
私はライターとして「書きたい」企画を生み出しがちだ。他のクリエイターにおいても、それぞれの領域で同じ現象に陥るのを何度も見てきた。しかし、メディアである限り、私たちはどこまでいっても読者に求められるコンテンツを生み出し続けなければならない。自らの能力も考慮する必要がある。
いつも、自由と不自由のせめぎ合いだ。

それでは、私たちはメディアを通して何を生み出すべきなのか。それは「分かりやすく、本質的で、オリジナリティのある」クリエイティブだと思う。独りよがりにならず、必要とする人たちに情報を伝えつつ、私たちでなければできないものづくりをする。その先に、島の明るい未来があってほしい。
そんなのは理想論かもしれない。あちら立てればこちらが立たぬのが世の常である。
伸ばした腕から、お湯がなめらかに滑り落ちる。静かな浴室に、数滴の雫が音を響かせる。
ふーーーー。もう一度、ため息とも深呼吸ともとれる長い息継ぎをする。
それでも。いや、だからこそ。今ベストを尽くして、記事を読んでくれる方と私たち自身のために、遺せるものを遺してゆく。その集合体でメディアを形づくっていくしかないと思う。
浴槽を出て、数分サウナに閉じこもる。正直、サウナに入っている最中は考え事などできない。数分数え、壺タイプの水風呂へ入ってはじめて、脳が冴えてきた。身体が水に包まれている感覚が心地良く、ヒンヤリと身体が透き通るように思えてくる。
銭湯を後にする頃には、覚悟が決まっていた。
明石海峡大橋のライトアップと海を渡る車のヘッドライトが光の粒をなし、暗くなりつつある空を彩る。淡路島と本土をつなぐ橋の圧倒的なスケール感に、自らの大きさを見失う。
私がメディアを通して実現しようとしていることは途方もない。成功する保証もない。けれど、私には志があって、仲間がいる。私たちなりのやり方でアウトプットを出し続け、解を探そうと思った。

執筆:ハテシマサツキ
イラスト:mai






