今回訪れたのは、岡山県は日生(ひなせ)の沖に浮かぶ大多府(おおたぶ)島。
全周5kmの小さな島には、江戸時代から残る井戸や防波堤、洞窟など見どころがたくさんあります。
2時間弱の滞在で回れるだけ島内を探索したので、その時のレポート記事となります。
大多府島ってどんなところ?
上陸レポートに入る前に、簡単に大多府島の概要についてご説明します。
島内を観光されるのであれば、歴史的背景について知っておくとより楽しめるかもしれません。
江戸時代から「かぜまち」の島として栄える
大多府島は、瀬戸内海に浮かぶ島々の中でもかなり小さい部類に入りますが、Googleマップなどで調べるとたくさんの観光スポットがヒットします。
そのほとんどは、江戸時代につくられた歴史的なものです。
それもそのはず、大多府島はかつて「かぜまち」の島として栄えていたのです。
当時備前国と備中国を統治していた岡山池田藩によって、大多府島には番所や港がつくられました。
参勤交代の際には順風を待つための場として活用されたといいます。
最も栄えていたときには人口が約1,000人もいたそう。
この小さな島にそんな大人数が暮らすとなると、かなりの賑わいであったと思われます。
大多府島へのアクセス
大多府島には橋が架かっていないため、本土からのアクセスはフェリーに限られます。
日生港、日生駅前、頭島(かしらじま)から乗船可能です。(頭島は本土と橋でつながっています。)
定期船の時刻表・料金
2018年の10月1日からダイヤが改正され、各港の発着時間が変更されました。
現在の時刻表はこちらです(大生汽船のホームページからも確認できます)。
大多府島と鴻島の2島を一度に観光する際には、9時15分日生発の便で大多府島に渡り、13時大多府発の便で鴻島に渡ると良いでしょう。
料金は以下のとおりです。
最も便数の多い「日生ー大多府」は620円となっています。
乗組員の方が船内を歩き回って料金を回収します(現金のみ)。
おつりの出ないように事前に小銭を用意しておきましょう。
朝6時40分、大多府島に上陸
実は今回の行程では、大多府島の他にも4つの島を1日で巡ることになっていました。
そのため、1つめの島である大多府島には第1便のフェリーで渡っています。
眠い目をこすりながらも、下船してすぐ吹き抜ける潮風にすがすがしい朝の訪れを感じます。
上陸後すぐに広がる中心集落
地図を見ていただくと分かるように、拓けているのは港周辺の集落に限られます。
集落は、くまなく歩いても数十分あれば十分なほどのコンパクトさです。
この時間にはほとんど人は出歩いていませんでしたが、生活の中心がこの地区であることは間違いありません。
ちなみに、トイレは港付近と南部の自然研究路道中にあります。
積まれた貝殻の束は…
港の一角では無数の貝殻が重ねられていました。奥のブロックも同様です。
これは牡蠣の養殖に使うホタテの貝殻。
日生は全国有数の牡蠣の養殖地で、港や船からはたくさんの養殖用いかだを見ることができます。
歴史的な建造物が残る集落
大多府島にはたくさんの歴史的建造物がのこっています。
驚くべきなのは、それらが島の生活に溶け込んでいること。
日常の中に歴史が息づいているのを目の当たりにすると、今この瞬間も過去の延長線の上にあるのだと実感します。
元禄防波堤
少し見づらいですが、左奥に見えるのが「元禄防波堤」です。
その名の通り元禄11年(1698年)に築かれたもので、今でもしっかりとその形が残っています。
右奥は現代に作られた防波堤ですが、異なる時代の防波堤がこのように共演している光景にはロマンを感じます。
六角大井戸
こちらも元禄の一大開発の際に作られた六角形の井戸です。
島内にいくつかある井戸は時代を越え、なんと昭和までこの島のライフラインとして活躍し続けたそうです。
今でも静かに水をたたえている様子を見ていると、なんだか感慨深くなります。
燈籠堂
島の北東に位置するのは燈籠堂です。
元禄防波堤と同じく元禄11年(1698年)に造られ、それからなんと170年間もここで海の見張りが行われていたそうです。
今でも朽ちることなく立派にそびえ立っている姿には、感動すら覚えます。
島の南部「自然研究路」をゆく
大多府島の北部には港を中心とした集落が広がる一方で、島内南部はほとんど山林で構成されています。
島内を横断するような形で山林の中を貫くのは「自然研究路」という名の散策路です。
時折アップダウンや荒れた路面に出会いますが、距離もさほど長くないため運動にはちょうど良いコースです。
軽めのハイキングが楽しめる未舗装の小道
基本的に自然研究路の路面は未舗装ですが、土がならされていて歩きやすい部分も多いので、気軽に散策ができます。
道中には休憩所やトイレもあるため、安心してハイキングを楽しめます。
道の左右にはお地蔵さんが並ぶ
一つ一つ数えた訳ではないので正確な数は分かりませんが、おそらく88体のお地蔵さんが自然研究路に並んでいます。
自然研究路の全長はかなり短いので、お地蔵さんが至近距離に並んでいることも多々あります。
中にはかなり断崖のようなところに安置されているお地蔵さんもあるので、巡る際には十分に注意してください。
道中には廃校も
集落から数分の高台には、備前市立大多府小学校の跡が残っています。
中庭には草が生い茂っていますが、ところどころ当時の様子を感じられるような「人がいた痕跡」を見つけることができます。
ちなみに、大多府小学校は少子高齢化のあおりを受け、2008年に閉校してしまったそうです。
特に人口が少ない島しょ部では、このように教育機関の統廃合が少子高齢化に拍車をかけているケースが珍しくありません。
島一番の景勝地「勘三郎洞窟」
実は今回、大多府島を訪れるにあたって最も楽しみにしていたのが「勘三郎洞窟」という天然の洞窟です。
「すごい洞窟がひっそりとあるらしい」という情報だけは事前リサーチで把握していたのですが、インターネット上に上がっている写真は少なくその様子は分かりませんでした。
2時間弱という短い滞在時間ではありましたが、絶対に行こうと決めていました。
スリリングな岩場を下って洞窟へ
自然研究路を進み、雑木林を抜けるとそこには瀬戸内海が広がっています。
そこからは看板に従い、岩場むき出しの斜面を一歩ずつ下っていきます。
なかなかスリリングですが、どうやらこれが正しい道のよう。
「異常気象時立ち入り禁止」との立て看板がありますので無理は禁物です。
海すれすれまで下ると、ようやく洞窟へと続く階段が見えてきます。
奥地に広がる洞窟はまさに秘境
30段ほどの階段を上ると、ようやく勘三郎洞窟に到着します。
うっすら中が見えるポイントまでは近づくことができ、案内板も立っています。
(洞内は立ち入り禁止です)
大迫力の写真をお届けしたかったのですが、なかなか思うように撮れませんでした…すみません。
ちなみに、勘三郎というのは江戸時代にこの洞窟でニセの藩札(藩内で使える通過)を作っていた人の名前とのこと。
こんな形で後世に名が残ってしまうこともあるんですね。
洞窟を背にして海に向かうと、絶壁の狭間から瀬戸内海を臨むことができます。
すがすがしいこの景色に、偽札を持ってここを意気揚々と飛び出して行く気持ちが少しだけ分かったような気がします。
偽札は作っちゃダメですけどね。
歴史を肌で感じた旅でした
大多府島は面積こそ小さいものの、その中に歴史や自然の魅力がぎゅっと詰まっています。
この島の近海ではアオリイカが釣れるらしいので、釣りをされる方もぜひ。
はなれじま広報部ではその他の島の記事も順次更新していきますので、チェックしていただければ嬉しいです!