はなれじま広報部が向かった先は、島根県隠岐諸島にある1島1町の小さな島、中ノ島・海士町(以下「海士町」)。小さな島でありながらも「ないものはない」というキャッチコピーで島をまるごとブランド化し、島内外に島の情報を発信しつつ、ふるさと納税でも2020年頃から大きな成長を遂げてきました。
今回は、海士町出身で「半官半X*」を体現する柏谷 猛さんと、同じくnoteやLINEを使って海士町の発信に取り組む寺田 理弘さん、海士町のふるさと納税業務を担うAMAホールディングスの堀之内 千夏さんにインタビューを行いました。三人から、海士町のキャッチコピー「ないものはない」に対する認識と、島民の中で共有されている価値観、そしてこれまでの取り組みについてお話いただいています。
*半官半Xとは、海士町役場発の新しい概念で、「官」として役場の業務に従事するかたわら「X」として自分の「好き」や「得意」を複業として地域に還元する働き方のこと。
▼海士町役場 総務課 主任主事 寺田 理弘氏(写真左)
埼玉県出身。もともとクラウドファンディングに関わる仕事をしていたが、12年前海士町に住む友人の紹介から、Iターンで海士町へ移住。現在は、広報や役場内のITインフラ整備などに従事。
▼海士町役場 交流促進課 課長 / AMAホールディングス 事務局長 柏谷 猛氏(写真中央)
海士町出身。海士町内の隠岐島前高校を卒業し、大阪の専門学校を経て、ITベンチャー企業に就職。システムエンジニアとして7年間勤めた後、海士町へUターン。2001年海士町役場に採用された。交流促進課に異動後は、観光振興に従事しており、AMAホールディングスの立ち上げにも尽力。
▼AMAホールディングス ふるさと納税事業・ 視察事業・バックオフィス担当 堀之内 千夏氏(写真右)
三重県出身。学生時代は関東で過ごし、就職後に地元へ帰るも、海士町で行われている「大人の島留学」に興味を持ち、海士町へ移住。大人の島留学生として移住以降、ふるさと納税事業に携わる。3年目にAMAホールディングス株式会社へ入社。
海士町は、誰もがやりたいことに挑戦できる場所
海士町は、町を良くするために誰かがやりたいと考えることに挑戦できる場所として、移住者を含む島内外の方々から愛されてきました。海士町役場で勤める公務員の方々も条例によって複業が認められ、「半官半X(エックス)」として、町のために官民学が一丸となって動くための仕組みが整備されています。
・町として本気で取り組み、官民の連携で魅せる「ふるさと納税」
海士町における施策として取り組まれてきたもののひとつに「ふるさと納税」があります。海士町では、2017年頃からふるさと納税を伸ばしていきたいと考え、地域おこしに強みを持つ「こゆ財団」の齋藤 潤一氏に相談をしました。そこで、ふるさと納税は自治体の業務の合間にやるものではなく、本腰を入れて取り組むべきものと認識を改めたことから、圧倒的な成長が始まります。
自治体が別の仕事と並行して行う業務ではなく、AMAホールディングスに業務委託をして、進めることとなった「ふるさと納税」。申し込み件数を伸ばしていくための取り組みとして工夫したことは、登録サイトおよび返礼品の種類を増やすことでした。
当初は1サイトのみだったふるさと納税申し込み用ポータルサイトの登録も、現在では16サイトに上り、多くの窓口から納税を申し込めるようになっています。また、当初の返礼品登録は100種類未満でしたが、2022年時点で300種類に到達しました。ふるさと納税黎明期から返礼品を出品していた事業者の方々に協力してもらいながら、商品の改良やバリエーション展開にも積極的に取り組み、価格帯の選択肢を増やしたそうです。
・「ないものはない」を島内外に伝え続ける発信力
海士町を語るうえで、欠かせない取り組みがもうひとつあります。それは「ないものはない」というキャッチコピーのもと、海士町ブランドを伝える発信です。
海士町ではホームページでの発信に加え、LINEの公式アカウントや公式noteでの発信もしており、さまざまなプラットフォームで海士町の情報に触れることができます。
そして海士町として、それぞれのプラットフォームへ向け、島内の方々はもちろん海士町に興味・関心のある方々に最適な情報が届く導線を敷いています。主に島外の方を対象とした情報発信を展開している公式LINEの友だちは5,800人を超えたとのこと。
公式noteの名前も、開始当初は「海士町公式note」でしたが、途中から「ないものはない 海士町公式 note」に名前を変更しました。それ以降、海士町内にある「ないものはない」に関わるエピソードや記事を軸に発信を行うようになりました。
今回はそうした背景を踏まえ、「ないものはない」という一度聞いたら忘れられないキャッチコピーを軸に、お話を伺いました。
「ないものはない」という合言葉が生まれた日
—— 「ないものはない」のキャッチコピーが生まれた経緯について、教えてください。
(柏谷さん:以下、敬称略)前町長の山内さんが、町職員の名刺デザインを統一しようと提案したのが発端でした。当時の若手に、名刺デザインのプロジェクトを任せたいということで、7名ほどの職員が集まりました。
このプロジェクトにご協力いただいたデザイナーの梅原真さんから最初に出されたのは、「海士町を一言で表す言葉は何か」というテーマでした。プロジェクトチームで話し合いながら、100個くらいのフレーズが浮かびましたが、その中には「ないものはない」という言葉も。
そして浮かんだフレーズを提出し、梅原さんと話し合う中で、「ないものはない」という言葉の中に2つの意味があることに気づきました。まず、元々は「ないものはない」ほど、豊かなものがここにありますよという意味です。2つ目は、 ここにない、必要ないものは別になくてもいいんじゃないかという意味で、この価値観とともにキャッチコピーを使っていくことが決まりました。
使われながら生まれた「ないものはない」第三の意味とは
—— 「ないものはない」が打ち出されてから、約13年が経ちますが、今後もこのキャッチコピーを使い続けますか。
(寺田さん:以下、敬称略)基本的に「ないものはない」というキャッチコピーが変わることはないと思っています。これまでも発信を続けてきましたが、社会全体に対しても必要な価値観として発信していきたいという思いは、強くありますね。
そして最近になって、実は「ないものはない」という言葉に、もうひとつの意味づけがされるようになってきたんです。それが、「ないんだったら、自分たちで楽しんで作ればいい」という意味合い。町民たちの間で、キャッチコピーはそうした意図でも使われるようになってきました。
その第三の価値観は、「ないものはない」という言葉がずっと使われてきた結果、生まれたきたものだと思います。私自身としても、この言葉があることによって、海士町を取り巻くみなさんの気持ちが少しずつ変わっていったり、大切な考えとして浸透していったりしている実感を、広報担当になってから特に感じるようになりました。
—— 素敵な価値観ですね。みなさん自身で「ないなら作ろう」と動いた企画などはありますか。
(柏谷)このキャッチコピーが生まれた当時から、ずっとフットサル大会を主催しています。私は高校時代、隠岐島前高校のサッカー部に所属していて、大阪に進学、就職してもずっとサッカーは続けていました。この島に帰ってきたときにも、隠岐島前高校にサッカー部があったのですが、後に少子化の影響で廃部になってしまって……。
このようにどんどんクラブ活動が縮小されていく中、それでも島民はやっぱり試合がしたいんですよね。
ですが、サッカーは1チーム11人の合計22人必要なスポーツなので、どうしてもたくさんの人を集める必要が出てきてしまいます。それならば、とフットサル大会を開くことにしたんです。
海士町に帰ってきてからは、フットサルチームを作って試合を続けていましたが、せっかくならいろいろな人と対戦したいと思うようになりました。ただ、この島から出て本土に行くとなると、「海士町でサッカー(フットサル)をする」という目的からずれてしまうので、海士町で開催することにこだわりました。大会は毎年、ゴールデンウィークに開催されています。
—— 島内に人を呼び込む形ですね。開催時期をゴールデンウィークにしている理由はありますか。
(柏谷)普段、ゴールデンウィークというと、島民はみな家族と島外に出て、そこでお金を使います。そこで、逆に島の外から人を呼んで海士町で過ごしてもらい、海士町の経済循環の一助になりたいと思いました。そうした狙いで、あえてゴールデンウィークに設定しているんです。
私自身もそうですが、子どもたちの声もあり、ゴールデンウィークに島外へ遊びに行きたい気持ちも正直ありました。しかし、そこはぐっとこらえています。やはり、私たちが海士町で楽しんでいる姿を子どもたちに見せないといけないと思うんです。
ショッピングモールやゲームセンターがあるような都市に興味を持つこと自体は自然なことだとは思います。しかし、それを突き詰めてしまうと、都会の憧れに染まってしまって、島には帰ってこなくなってしまうんです。
そう考えると、やはりこの島で大人たちが本気で楽しんでいる姿を見せたかった。それで、フットサル大会という「ないもの」をみんなで作ったんです。開催は次で13回目を数えます。日本代表を経験された小倉隆史さんもこの島に呼んでいるんですよ。ありがたいことに、もう3回ほど来てくださっています。
—— 小倉さんも一緒に対戦するんですか。レベルの高い大会ですね。
(柏谷)はい。本気でぶつかり合う大会であれば、プレーしている選手も、それを見守る観客も楽しいと思うんです。張り合いを生むためにも、大会のレベルは高く保ちたいですね。
海を越えて伝播していく「ないものはない」の価値観
—— ほかに島外の方と一緒に、「ないものはない」に関わるプロジェクトに取り組んだエピソードはありますか。
(寺田)7、8年ぐらい前から、JICA(国際協力機構)さんとの連携が深まって、海外の方も海士町に来てくれるようになったことは良い事例だと思います。海外の方にも「ないものはない」という価値観を、すごく気に入っていただけました。
こういった価値観を母国に持ち帰っていただけると思うと、日本だけではなく、海外にもより「ないものはない」を知っていただきたいという気持ちが出てきます。「ないものはない」自体が、ないものねだりをしないという意味にとれる点もあり、これからの社会に必要な価値観としても、海士町らしさを表現するための言葉としても積極的に発信していきたいです。
—— さまざまな場所で通じる価値観ですね。ほかに発信していきたいことはありますか。
(堀之内)ふるさと納税についてなのですが、返礼品だけではなくて、ふるさと納税の使い道の部分をアピールしていきたいと思っています。ふるさと納税をするということは、本来なら自分が住んでいる自治体に納める税金を他地域に納めることです。だからこそ、納めた税金がどのようにして地域に影響を与えているのか、リアルタイムで応援できるようにしたいです。
中にはクラウドファンディング型ふるさと納税と呼ばれる形式もあり、応援するプロジェクトを指定して、寄付をすることができます。この形態であれば地域の未来につながっているという実感を得られるので、今後積極定期に活用していきたいと考えているところです。
(柏谷)今話題に上がっているものでいえば、高校生たちがこの島でフェスをやりたいと立ち上がったプロジェクトがあって。海士町にはライブハウスがなく、一流のアーティストさんたちが演奏するような場所は本土まで出ていかないとありません。ただ、本土での企画も日程等の条件を合わせるのが非常に難しく、何より海士町民としてこのプロジェクトを実現するためには、自分たちでプロのアーティストを呼んでくるしかない、という発想に至りました。
ふるさと納税を活用することで、こうしたプロジェクトの実現に向けて金銭的な支援を募ることもできるので、応援してくれる方々も「ないものはない、ならば…」と新たなものが生まれる過程を疑似体験できます。
—— 高校生がプロジェクトの主体になることもあるのですね。
(堀之内)もちろんです。海士町では、町民であれば誰でも、ふるさと納税を活用したプロジェクトの提案をすることができるようになっています。その制度を活用して、高校生がやりたいことに対して、AMAホールディングスや役場の担当者が一緒に相談しながら伴走しているイメージですね。最終的に役場の審議にかけて承認されれば、寄付金を使えるプロジェクトとして扱える仕組みになっています。
—— 高校生にも「ないものはない」の価値観が浸透しているように思います。
(柏谷)その通りです。やはり3つ目の「ないなら、自分たちで楽しんで作ればいい」という価値観が浸透しているという点で、すごく海士町らしい取り組みだと思っています。「ないものはない」は、海士町の生き様や心意気を表す言葉そのものになっていますね。
(柏谷)ただ、この価値観があるから取り組みを始めるというわけではないので、「やらないといけない」というような攻めの姿勢は必要ないと思っています。
「ないなら作ってしまえばいい」という価値観を心の中にいつも持っておき、「ない」に遭遇した時に思い出す。そして、そうした状況を仲間を巻き込みながら変えていくようなあり方こそが、私が考える「ないものはない」です。
—— 各々が考えるきっかけを生む素敵な言葉ですね。本日は貴重なお話、ありがとうございました!
「ないものはない」というインパクトのある言葉だけが一人歩きすることなく、むしろ島民のあり方を示していることをお聞きして、言葉の大切さを改めて実感しました。そして「ないものはない」精神は私たちはなれじま広報部にも通ずる部分があります。今後も海士町の動向を追いながら、その模様を皆様にお伝えできればと思います。
はなれじま広報部では、全国の離島におけるPR・EC運営の事例をご紹介しているほか、ECサイトの構築やサイト内の文章作成、プレスリリース作成代行などを承っております。取材にご協力いただける方や応援してくださる方、ECやPR に関してお悩みの方はぜひお気軽にご連絡くださいませ。
取材・編集:ハテシマサツキ
執筆:白波弥生